道教生活常識小百科

生死篇

文化院総主持兼院主/蔡文  主答

 

 

自殺は有罪か?

    自殺は一種の宿命ではないでせうか?

    自殺したら、後は事無しですか?

    人は自殺の権利がありますか?

 

 

◎ 道教から言って、自殺本身は一種の罪でせうか?

答:  自殺はプレッシャー情域の反応が、人又は事に対して反感を生み、どうしても思い切れず、心理状態が地震爆発と同じくなる。そして道教で言う罪は天の律法に違反し、天行の道と良心に背逆した罪を指し、悪人を懲罰して、罪意の下で、苦痛の生活をさせない隠喩で、自殺の解釋とは違う。

   道教の罪は生前と今生の罪に分けます。生前悪事の罪は人を煉獄に苦しませるが、如し堅忍不抜の心で、受けるなら、速く過ぎてしまうが、今生違反した罪は人を囚獄の苦しみに、甚しきは来生もその罪の苦しみを受ける。故に道教の考えでは、自殺は罪では無く自身遭遇又は犯した罪からの逃避であり況して自殺の動機も単純に只死ねば一切ご破算ではなく、実際は一種の求救のシグナルで他人にその立場と願望瞭解を求めている;道教は博愛の宗旨に基き、慈悲救人救世の目標を抱いて人を彼岸に渡亡させるので、人の自殺を聞けば、専ら悲憫の心が生じ、何とか、その人を救うので、罪の名でその人を責め、更に苦痛で助けのない深淵に陥入らせることはしない。

◎ 自殺の動機にも善意あり、例えば長年病に臥し、あまり家属に心労させるに忍ばずして自殺した人は、道徳上、宗教上、缺失がありますか?

答:  自殺でも「理性的自殺」があり、例えばあまりに年老いた人又は難病の人が、生命を自尊維持で価値を落すのを願わず、継続して自分や家属を痛めたくなく、又時間や金銭を浪費したくないと思い、深思熟慮の結果、事情がもはや挽救出来ないのなら、残されたのは只自殺の道を選択して問題を解決するしかないと考える。

     自殺に対して、倫理道徳、宗教観念から見るのと、人道の角度から見るのとでは少し違ってくる。道徳、宗教で言えば、人は生きる権利があり、人生は挫折苦痛があるけれど、家庭、社会に対して責任あり、生きて行く義務がある;人道から言えば、人は死亡の権利があり、他人の為に生きる義務は無いと考えるので、君子の仁を選んで生命の価値を保存する。

  然し宗教の力は確かに自殺防止の助けになる。宗教は人に人生に対する勇気を与え、家属も精神面から病人を寛慰勧導すれば、或いは病人も段々と自殺の考えを取り消すかも知れない。

◎ 人の寿命は天生の定まったものですか?自殺も一種の宿命なのですか?

 

答:  人は縁により生じた法で、生命は自然から来たのだから、必然的に自然に帰寂する。

  佛家は死を「滅法」と認め、「生存」と相対的で、又相成的と認める。死が無ければ生があろうか?各宗教とも皆、人の死は只肉体の腐朽のみで、霊魂の滅亡ではないと認める。今生の短促な生命は、決して人の最後の旅驛では無く、人は別の世界で、今生の行為に照らして返報を得る。故に人の寿命は天生の定めでは無く、自分の為に創造されたものである。今生善事をすれば、来世には必ず福報がある。

   身投げ淹死、首吊り死、服毒死等の自殺行為は、すべての「生滅法」の中では、依然として「自然死」の一種に属し、縁に因って生じた法で、生者、滅者とも自づとその因縁がある。そして愛と工作は人の精神上の二大支柱で、極大な脅威を受けて、助からないと絶望を感じた時、軽生の念も起き、こんな情緒を平息させる為には、自身を克服するのみ。故に自殺は絶対的宿命ではなく、況してや問題解決の最後の原因でもない。自殺は人自身の選択である。

        俗語に曰く:「死者は大」と。自殺者が既に死亡したのだから、陽世の罪過は寛恕されるべきで、譴責の必要はないと。この様な言い方は正しいですか?

答:  人は聖賢に非ず、過失犯罪は人生過程では免がれない事です。罪を犯した人が如しまだ犯罪に対する警惕が残って居り、以後守法、除悪報善出来れば、天又は法律は彼の人格を再評価し、福を降し給い、彼の前途が光明ならんと助ける。

   自殺は罪ではないけれど、岐路を歩いたのは明白で、又後代、親友の肩に沈重な

  苦痛の重荷を負わせる。所謂「死者は大」は、人類が一時悟れずに、貴重な生命を

  無駄に断ち切つた人への悲憫で、実際は「死は大事」です。俗語に曰く:「良き生を

  求めずとも、良き死は求めるべし」と。況してや現世受ける苦は、皆以前自身が作

  ったものだから、安心して忍受すべきで、どうして怨天責人し、悲憤して自殺し、

  父母を憂慮させ、天下の人を笑わせる必要があるのか?一旦自殺すると、希望は永遠

  に途絶えるので、このような自暴自棄は、恥ずべき行為です。人は死んでも一切を

  解決出来ません。因果は自殺に因って改変出来ないと知るべし。業と力は既に自然

  がうまく、整理している。 

◎ 殺人者はある時同時に自殺するが、原因が善意又は悪意に関わらず、この様な自殺は

自身の殺人の罪過を免かれ得られますか?

答:  殺人は犯法で、例え自殺しても生命傷害の罪は負うべきですが、如し担白に罪を認め、勇敢に自首すれば、法律もあなたの罪を軽減するのみならず、上天もあなたが来世受けるべき苦を赦免するので、決して偸罪避罰して、法律に觸怒し、上天に逆らってはならず、然らざれば罪は更に加重されます。殺人者は自殺によって罪を贖なおうとするが、それは不可能で、如何なる方式の自殺も罪で、例え死前の苦痛と持続時間が零に減っても、完全に尊厳にして、無痛で心安らかにすることは出来ない。

   人が死んだ後の霊魂は生前と臨死時の一切の経過を記憶出来、況してや霊魂は不滅で、死後も未だ来生がある。現世の生命は短促で苦多く楽が少ないから、自殺してお終いにすれば、或いは未だ苦痛から解脱出来るかも知れないと考えてはいけません。その実人生の一世は非常に苦しいけれど、自殺すると原来の苦に又自殺の苦が加わるのみならず、来生で報を受ける時更に苦が加わる。

   人が死んで鬼魂となるが、生前の罪悪の苦痛と殺人時の恐怖の情景は、やはり時々刻々出現し、多生多世も続く。故に人を犯した場合は勇敢に問題に対処、贖罪し、且つ再び悪事をせざるべきでこれで始めて罪業を抵消する最良の方法と言える。

 

 単純な自殺者には冤屈が充満している時もあるが、この様な亡魂は特に家属又他人の超渡が必要でせうか?

答:  一般の人は人が自殺死の後、必ず地獄の枉死城に入ると思っているので、死者の心配をして、早く誦経超渡しようと想う。その実はどの様な死にかかわらず、皆自然死の、一種で、業力の安排に依り、投胎すべきは投胎し、地獄に落ちるべきは地獄に落ちる。亡魂を超渡する動機は只鬼が生前色々な遺撼を残して人世を離れたので、人々が憐憫の心を懐いて、彼を善待し、施恩救渡するので、亡魂を解渡出来るのが望ましい。

   然し横死した人は、鬼魂が苦痛不安東奔西走し易いので、必ず誰かの超渡を待って、始めて苦痛は停止出来ます。家属や他人が亡魂を超渡するには必ず陽間で善行功徳を累積し、又仙佛の慈悲を配合し、神の引証を経て、功徳を転化して鬼魂に施捨して、始めて出来ます。渡亡の目的は世人の行善を奨励するのですが、最重要なのはやはり人が生きている時に行善積徳し、死後も更に徳行を良く修めて、始めて安寧和諧の生活を過せます。

        自殺者が鬼に変れば、一般の自然死の鬼よりも凶暴ですか?陰間では如何にこの種の自

  殺死の鬼に対処しますか?

答: 「臨終の一念」は死後に非常に大きな影響があり、死ぬ時安祥なら死後の霊魂も安祥平静で、如し死に臨み悲哀なら死後も依然として悲哀です。何故なら臨死時の形象は、死後も常に現相するので、突然死亡者は眠中に最後に見た物象を留めて居り、自殺時に反応した極端な恐怖苦痛は、その情状が彷彿としてカメラの如く、不滅の心霊に照り反る。故に若し誰かが「断頭鬼、首吊鬼」を見たのなら、実際は臨時の真実状貌と醜態であって、自殺の鬼が一般死亡の鬼よりも凶暴なのではない。若し含冤で無理死した人は、死後も報仇の意念があるので、その霊魂は往々にして偏激の一面に走り、凶意を現出する。

   自殺の後は無窮の苦痛を受けるのみならず、冥界に囚禁されることもあり得る。死ぬべきでなく死んだ人は罰せられて枉死城に入り、投胎転世を許されない。何故なら人身は得難たいのに、却って珍惜するのを知らずに短見に赴くので、閻(魔)王の判断で孤獄に囚禁され、軽率に投胎転世させない。さもなければ陽間で相当の功績を儲蓄して、始めて自由に投胎出来る。その実、自殺は横死だけれど、やはり全体としての生滅法の中に存在するので、因果はこれに因って改変出来ず、冥界を司どる官吏も自殺死の鬼に対して差別待遇は出来ない。

        自殺の動機は通常突発的奇想ではなく、長い間蘊釀されて起った行動ですが、道教徒は誰かが自殺傾向ありと発見した場合、彼を開導すべきですか?或いは彼を宿命にまかせ、自然のままに、死を求めれば死を得させますか?

答: 道教の信仰霊理の研究を重視し、人が生命を瞭解するのを助けて、勇敢に人生に立ち向うのですが、自殺は生命の本能がもはや正常に功能を發揮せず、自殺者は自身の生存価値に懐疑を表わしているわけで、如し道教が徒らに彼が宿命に順じ死を求めれば死を得られるのを奨励すれば、道教の教義に違背します。故に虔誠な道教徒は、自殺傾向のある人を発見した時は、その人を開導すべきで、彼を自殺に誘導すべきではない。生命は無限で、世界で道教も含めて、死亡を絶対的な終結又は生命の結束と認める宗教は一つもない。故に自殺は如何なる問題も解決出来ない。

   自殺傾向の人を救う最重要なことは時間を早く勝ち取ることで、事前に殺機を消除し、事後の急救も重要である。如し防範工作がうまく行けば、本人を救えるのみならず、又その他の無辜の被害者も救える。

   

神と人の親密関係を創造し燦爛とした人間天堂を共建

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事前にはその殺機を消除。事後の急救も同じ

く重要。